友達の輪710号(2026年1月4日発行)
レーシングドライバー 久保 凛太郎さんへ
【本紙】 カーレースはいつから始められたのですか?
【久保】(敬称略) 最初はゴーカートです。初めて触れたのが中学生1年生の頃でした。父が仲間内でカートを始め、茂木のサーキットで6時間耐久レースに参加したりしていました。その時は家族旅行も兼ねていて、「子供でも乗れるカートに乗ってみたい」と言ったら繰り返し乗せてくれました。それが初めて車に触れた時でした。実際にレースを始めたのは中学2年の後半くらいだったと思います。
【本紙】 練習はサーキットですよね。お金かかりますね。
【久保】 かかります。父が会社の仲間や取引先の人たちも含めて立ち上げたカートチームがあるのですが、その中で一番早い子供をレーサーにしようという思いがあったようです。カートチームではレーサーを輩出するという思いが盛り上がっていて、二年目くらいに私に白羽の矢が立ったのです。でも、中学3年でしたからレーサーになる気持ちなどは全くなく、レースで1位になりたいという欲もありませんでした。周りは盛り上がっていましたが、当の本人はプロレーサーになるという気持ちはなく、「レースに出られればいいや」くらいの気持ちでした。それに、周囲にいた同じ年くらいの子供は、みんな4歳、5歳とかでカートを始めている子ばかりでした。そういう子を見ていると、自分は始めたのも遅いですし、そうやって早期に始めた子供らがプロになっていくのだろうなあ、とどこか客観視していたところはあったと思います。
【本紙】 カートはいつまで続けていたのですか?
カートは鳴かず飛ばず
【久保】 19歳くらいまでですね。その間もやっぱりプロになるという気持ちはなく、どちらかと言えば思い出作りのようなものでした。レースにはランクによるカテゴリーがあり、年の初めの開幕戦は必ずビリからスタートして、最終戦の頃に全体の中間位置に収まるのです。そして、次のシーズンでランクを上げてスタートして、またビリから始まるのです。そこでも最終戦の頃には全体の中間位置に入るという繰り返しで、私は全体の中盤くらいのドライバーだと認識していました。そんな感じでしたから、とてもプロでやっていけると思いませんでしたね。2年か3年くらい、一番上のクラスも経験しましたが、ある年の開幕戦の予選で1位になった時、「あれ?意外といいぞ」と思った程度でカートは鳴かず飛ばずでした。せっかくここまでカートを続けたのだから、最後の1年だけフォーミュラーに乗って、それで駄目ならすっぱり辞めようとカートからフォーミュラーに乗り換えてみました。その年にチャンピオンを取って、他のサーキットでもトップか2位という具合でした。カートは動きがピーキーでかなり忙しく、F1ドライバーの感覚に近いものですが、フォーミュラーに乗り換えたら、自分のリズムと車のリズムが合致した感じだったのです。
【本紙】 フォーミュラーを目指そうという気持ちになったのですか?
開幕戦で優勝
【久保】 私が出ていたクラスは一番下のスーパーFJというシリーズで、その上に分厚い層でFCJがあって、その上にF3などがあります。このFCJの層が厚くて、カートの上澄みの人達はスーパーFJはやらずに、最初からFCJからスタートするのです。その中で結果を出した人たちがF3に行く事が出来るのです。そういう世界ですから、スーパーFJでチャンピオンになったとしても、その上を考えたら私には絶対に無理だなと思いました。翌年、FCJに出るか出ないかという相談をしていた時、車の型が変わってFCJが無くなって、空白の1年が出来ると聞き、FCJを飛ばしてF3に行ったのです。F3にも上のチャンピオンクラスと下にナショナルクラスがあります。そのナショナルクラスの開幕戦でポールポジションを取り、そのまま優勝しました。そこで初めてレーサーになろうかなと思いました。
【本紙】 とはいっても、簡単にレーサーになれませんよね?
最年少で表彰台
【久保】 フォーミュラーカーはF3で辞めて、代わりにツーリングカーのレースに出始めました。そうしたら、国内では有名な選手達とも張り合え、自分に合っているように感じました。私が出たのは86BRZレースというもので、トヨタの86とスバルのBRZで行うレースで、ほぼ市販のままで行うレースです。2013年からスタートして、翌年の2014年に当時最年少で表彰台に立つことも出来ました。2014年に86に乗っていて、2015年からBRZに乗るようになり、その辺りからスバルのドライバーになっていったような気がします。プロドライバーになれたきっかけのひとつとして、2020年の86BRZレースのプロクラスでチャンピオンを取る事が出来たというのが転換点ですね。
【本紙】 これからの目標というものはありますか?
スーパーGTで実力を
【久保】 国内で一番上がスーパーGTというレースですが、2020年に出るのを辞めています。そろそろ戻りたいなという気持ちがあります。スーパーGTは市販車ではなく、レースカーで競う国内最高峰のレースです。再び出場して自分の実力を試したい気持ちがあります。誰でもエントリー出来るわけではないので、チームとの契約から始まります。マネージャーがいないので全部自分で交渉します。モータースポーツはお金が掛かりますが、車に乗らないと練習になりません。毎日練習出来ませんから、初めて乗る車でも速いタイムが出せることが最低条件です。数周走って感覚を掴んでからというのもありますが、私が3周走って出したタイムを、ライバルが2周で出したらスポンサーはそっちのドライバーを取ります。そういう世界なんです。
【本紙】 ひとりで走るレースや、ドライバーが交代しながら走るレースもありますね。
【久保】 一人で走るのをスプリントレース、複数人で走るのをエンデューロレースと言います。エンデューロは6時間から24時間というものまであります。国内の24時間レースはポルシェのチームから出ています。ドイツにニュルブルクリンクというサーキットがありますが、2年前にスバルのチームと契約して毎年ドイツに行きスバルのチームから出ています。
【本紙】 世界での活躍も楽しみですね。ではお友達をご紹介下さい。
【久保】 「(株)ロックス祐」という会社を経営している、小林祐太さんを紹介します。
【本紙】 ありがとうございました。スーパーGTでの活躍を楽しみにしてます。









