友達の輪704号(2025年7月6日発行)
日本語教室 日本語講師 髙橋 茂さんへ
【本紙】 日本語教室で講師をされているそうですね。
【髙橋】(敬称略) 中央公民館で毎週火曜日19:00~21:00、毎週土曜日に14:00~16:00の日程でやっています。私が担当しているのは土曜日の方です。
【本紙】 日本語教室にはどのようなきっかけで関わったのですか?
【髙橋】 65歳の節目で仕事を退職しましたが、ある日、目に留まった食肉加工工場の求人広告を見て、面白そうだなと思い働くようになりました。当時、その工場で働いていたのはほとんどが外国人で、配属になった職場はアフリカ人が中心でした。そこの誰かが辞めたりすると、他のところから応援が来るのですが、ベトナム、カンボジア、バングラデシュといったアジアの国々の人でした。言語は英語ですが、私自身の英語力は学生時代に勉強しただけでしたので、翻訳アプリを使って、事前に英訳して話しかけてみたのです。発音が変な部分もあったと思いますが、言いたいことは伝わりました。しかし、困ったのが話しかけられた場合です。早口で満足に聞き取ることすら出来ません。そこで、聞き流して覚える英会話で勉強しました。なんとなく解るようにはなりましたが、一気にまくしたてられると解りません。言葉が通じないと仕事になりませんから。そこで、距離を縮めようと、誕生日に赤ワインやケーキを年2回~3回プレゼントしていったのです。おかげでなんとなくコミュニケーションが取れるようになり、仕事も回るようになりました。ただ、これはお国柄のせいかチームワークが取れにくい場面もありました。例えば、他所のところが回らなくなってヘルプに入るように頼んでも、自分の持ち場はここだからと離れようとしないのです。しっかりとコミュニケーションが取れないと仕事にならないと感じました。そんな時、幸手の国際交流協会が日本語を教える人を探しているというのを見て入会しようと思ったのです。
【本紙】 日本語教室には何名くらいいるのですか?受講生の男女比は?
習熟度アップに貢献
【髙橋】 1年半くらい前に急激に生徒が増え、約20名くらいですが教室に入りきらず、待機者まで出ている状況です。要因は外国人労働者を増やすという日本の方針があって、急激に受講者が増えたのだと思います。その受講者増に今度は講師が対応できなくなり、講師を増やそうということになりました。指導は受講者それぞれにレベルも違いますから、基本的にマンツーマンで行います。初級・中級・上級と3クラスに別れています。Nという表示をしますが、N1が習熟度が最高で、ほとんど日本語が解らないと言っても差し支えない初球がN7です。指導方法はテキストがあるので、それに沿って教えます。年に1回、習熟度の定期試験があります。受講者は定期試験に合格するために必死に勉強しています。男女比は女性の方が多いですね。私が担当している生徒の中には技能実習生が二人おり、パッケージ会社に勤めています。技能実習生は3年間ですが、その期間に実績を残すと特定技能がついてさらに4年間有効となります。ただ、3年間の結果が重視され技能実習生で帰国しまう人もいます。実習生の多くは、仕事中は同じ職場で働いている日本人とも話をしないとなりませんが、職場を離れれば同じ国同士のもので話をすることが多いようです。教え子の一人にメキシコ人がいますが、彼の職場環境は全員日本人です。だから、必死で日本語を勉強しないとコミュニケーションがとれません。職場環境で勉強の必死度も変わってくるのだと感じます。今考えている日本語の上達法として、カラオケを薦めたいと思っています。モンゴル出身の方がカラオケが一番日本語を覚えると言っていましたので実践してみようと思っています。生徒には12月の年末パーティで年間出席率が50%以上の生徒に修了証を渡します。マジックやギターが得意な先生もいらっしゃるので、各々の特技を披露したり約2時間のイベントです。その修了証が、職場に対してこれだけ日本語の勉強を頑張っているという証明にもなるのです。
自転車と一人旅
【本紙】 ご趣味などはありますか?
【髙橋】 大学生の頃の話ですが、一人旅が好きなので、自転車で日本一周を計画したことがあります。当時はオートバイと自転車に乗る人が多かったのです。幸手をスタートして、太平洋側から北上して、34日間で北海道一周しました。学生時代は長期休みの前半はアルバイトでお金を貯め、後半に旅行に行きました。その延長線上で日本一周を計画したのです。残念ながら九州まで回ることは出来ませんでした。
【本紙】 思い出に残ることはありました?
【髙橋】 岩手に入ったときでした。休憩しているときに、他の自転車グループと一緒になって、その中のひとりと意気投合して近くにあった食堂に行ったのです。その日の宿も決まっておらず、食堂の店主を持ち上げてあわよくば宿泊させてもらおうと算段しました。結果的にそれは上手くいって、なおかつ村芝居があるというので、それも一緒に見物することも出来ました。また、北海道の紋別では駅のベンチで休憩していると、地元の方が近づいてきて「今日泊まるところはあるの?」って聞かれたのです。「ないです」と答えたら、「ちょっとついてこい」と、ついていったら居酒屋でした。焼酎のジョッキを出されて「これを飲めたら家に泊めてやる」って言われました。今までビールを飲んだことはあっても、焼酎は飲んだことなかったのですが、今日の宿のためにどうにか飲み干したら「よくやった」と言って家まで連れて行ってくれたのです。ところが、家について玄関を開けたら奥さんと娘さんが険悪な様子でこっちを見ているのです。「なにかあったのですか?」と聞いたら、その人は学生が好きみたいで過去に応援団長を連れて来たことがあって、酔って大声で応援エールをやったそうです。奥さんも娘さんも寝られなかったそうで、それで歓迎ムードではなかったようです。でも、翌朝には大きなおにぎりを作っていただき、ありがとうとしか言えませんでしたが心底感激した思い出があります。また、別のグループと一緒に走っていた時は、他の人が風呂に入りたいと言い出したのです。すぐ近くの民家のチャイムを鳴らして、出てきた家人に「自転車で日本一周をやっていて、お風呂に入りたいのです。貸してくれませんか?」と尋ねたら、快く貸してくれたのです。今では考えられないことですが、人間味あふれるいい時代だったのでしょうね。
【本紙】 人の優しさを感じる旅でしたね。では、お友達をご紹介ください。日本語教室で講師もされている土屋リカさんをご紹介いたします。
【髙橋】 ありがとうございました。日本語教室は素晴らしい国際交流事業ですね。(高橋さんは教え子の日本の父のような気持ちで、上達を楽しみにされているようです。)